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般若院
- 2014/08/28(Thu) -
ここは、龍ヶ崎市根町の「般若院(はんにゃいん)」です。
般若院は金剛山観仏寺で、天台宗の寺です。
978(天元元)年の創建とされ、江戸時代は伊達家の位牌所とされました。
1856(安政3)年に暴風により倒壊し、1962(昭和36)年に再建された。
県の天然記念物に指定されているシダレザクラが有名です。

本堂
   ↑ 本堂
鐘楼
   ↑ 鐘楼

本堂裏手にある般若院のシダレザクラは、エドヒガンの園芸品種で、推定樹齢400年以上、樹高約10m、目通り幹囲約5m、枝張り東西約15m、南北約22mで、 桜の開花期間中は桜祭や夜はライトアップも行われます。

案内板
   ↑ 案内板
般若院のシダレザクラ
   ↑ 般若院のシダレザクラ

昭和28年、県の天然記念物に指定されています。

「般若院」
場所:龍ケ崎市根町3341
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来迎院
- 2014/08/01(Fri) -
ここは、龍ヶ崎市馴馬町にある天台宗「来迎院(らいごういん)」です。
永正14年(1517年)、常陸国河内郡小野村(現・稲敷市小野)の逢善寺によって、同郡馴馬村に建てられた草堂が当寺の起源と伝えられます。
弘治2年(1556年)、延暦寺の覚仙が当地に伽藍を建立し一世となり、以後の歴史は判然とませんが、江戸の寛永寺の援助で堂宇の再興が行われており、同寺との関係が深かったものと推定されます。
寛永8年(1631年)玄幸が再興し、寛政3年(1791年)、寛永寺から二百両を拝領して庫裡・本堂が再建されています。

来迎院
   ↑ 来迎院
本堂
   ↑ 本堂

境内の多宝塔は、関東以北に残る数少ない中世多宝塔で、通常の三間多宝塔で、屋根は柿葺きです。
当地の守護で江戸崎城主であった土岐治英の援助で弘治2年(1556年)に建立されたものとみられ、細部の建築様式や、同時期の建立である西蓮寺仁王門(天文12年・1543年建立)との比較から、来迎院多宝塔の建立も16世紀半ばとみられ、関東以北で現存する最古の塔といわれています。

案内板
   ↑ 案内板
多宝塔
   ↑ 多宝塔

平成18年には、国の重要文化財に指定されています。

「来迎院」
場所:龍ケ崎市馴馬町2362
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撞舞 2014
- 2014/07/28(Mon) -
ここは、龍ヶ崎市根町の「撞舞通り」です。
毎年、7月の最終金土日には八坂神社の祇園祭が催行され、最終日の27日の夕方(午後6時頃)から「撞舞(つくまい)」が奉納されました。
少しの模擬店が並びましたが、露店もなく、盛り上がりに欠けますね。

お囃子
   ↑ お囃子
綱を結う
   ↑ 綱を結う

頂点に円座を設けた高さ17mの柱が立てられ、龍つけ袴と筒袖にカエルの面を被った全身暗緑色の「雨がえる」と呼ばれる舞男二人が登ります。
雨がえるは円座の上で魔除けの矢を四方に射たのち、柱の上で逆立ちや綱渡りといった曲芸を披露しました。
豊作祈願、雨乞い、疫病除けの500年の伝統をもつといわれる神事であり、奇祭なのです。
鳶職の方とはいえ、命綱も無く、落ちたら死ですよ。
1時間足らずの曲芸ですが、見事な演技が凄かったですね。

演技しながら柱を登る
   ↑ 演技しながら柱を登る
賑わう会場
   ↑ 賑わう会場
矢を射る
   ↑ 矢を射る
柱の上で逆立ち   
   ↑ 柱の上で逆立ち
綱渡り
   ↑ 綱渡り

「撞」は柱や竹竿を意味する「橦」の字が転化したものとされ、アクロバティックな舞の舞台である長い柱の先を意味しています。
平成11年に国選択無形民俗文化財の選択を受け、平成22年には県の無形民俗文化財の指定されています。
なかなか凄い奇祭でしたが、昨日は生憎の天候で薄暗く、上手く撮影が出来ませんでしたよ。
今後は、もう1時間早く開催してもらえるといいですね。

「撞舞」
場所:龍ヶ崎市根町の撞舞通り
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女化神社
- 2014/07/12(Sat) -
ここは、龍ヶ崎市馴馬町(龍ヶ崎市の飛び地)にある「女化(おなばけ)神社」です。
女化神社は、永正6年(1509年)に京都にある伏見稲荷大社を詣でた地元の人が女化の地に稲荷信仰を伝えたのが、女化神社のルーツとされています。
しかし、神社の正式な名称も過去に3度変更され、往古は稲荷大明神と称したが、明治2年(1870年)に女化稲荷社から保食神社へ、明治17年(1885年)に女化神社へと改名しました。
文久2年(1862年)に建てられた以前の本殿を全面改装し、現在の本殿は平成14年3月に再建された建物です。
参道には多くの鳥居が建てられていますね。

鳥居
   ↑ 鳥居
拝殿   
   ↑ 拝殿

本殿裏手の道を挟んだ先には奥の院があり、2匹の狐が祀られています。
こちらは、牛久市女化町になります。
むかし、根本村に忠五郎という若者おり、猟師から狐を逃がしてあげました。
その夜、忠五郎の家に若い娘と老人が訪ねてきて泊めてあげます。
その後、娘と結婚し3人の子供を授かりますが、ある日、母親に大きな尻尾が生えて狐となってしまい、この場所の穴に逃げ込み「お穴」として祀られるようになります。
その後、忠五郎は戦国の時代で出世し、さらに用水掘を掘り、堤防を築くなどして農民を助けました。
と言うことで、人々を災いから守り、幸運を祈るために女化ヶ原のお穴の近くに稲荷神社を建てたとさ・・・。

奥の院入口の鳥居
   ↑ 奥の院入口の鳥居
狐の石像
   ↑ 狐の石像

「女化神社」
場所:龍ヶ崎市馴馬町5387
TEL:029-872-2237
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