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常陸国分寺跡!
- 2008/03/05(Wed) -
ここは、石岡市の常陸国分寺跡です。
国分寺は正式名称を「金光明四天王護国之寺」と言い、天平13年(741)の聖武天皇の詔によって国ごとに建立されたものです。

入口の常陸国分寺中門跡
   ↑ 入口の常陸国分寺中門跡
現在の常陸国分寺
   ↑ 現在の常陸国分寺
金堂跡
   ↑ 金堂跡
講堂跡
   ↑ 講堂跡

金字金光明最勝王経1部を安置した七重塔を設け、常任の僧20名と、最勝王経10部を置き、寺院の財政は封戸50戸、水田10町によってまかなわれました。
常陸国分寺跡は、昭和52年の発掘調査により、現本堂西側に鐘楼基壇(鐘つき堂の基礎)が発見され、次いで、昭和56年から二次にわたる発掘調査では、各伽藍(主要建造物)の基壇の規模が明らかにされた。
金堂跡については、現在残されている基壇約4倍の規模をもつことが明らかになり、大建造物を有する寺院であったようです。
近年の研究では、今まで判明していなかった七重塔の位置が、寺域東側に推定されています。
寺域は、東西約270メートル、南北約240メートルの規模を持っていた。
常陸国分寺跡発掘調査で出土した遺物は、瓦が主体であるが、その中でも、創建瓦(複弁十葉蓮華文軒丸瓦)は、平城京羅城門跡で発見された軒丸瓦と同系の紋様であることが注目されています。
これは、国分寺建立に際し、当時の政府が瓦工の派遣などを含む、技術指導をしたことを物語っているのです。

一坊扇歌堂
   ↑ 一坊扇歌堂

境内には一坊扇歌堂があり、文化元年(1804年)にこの地に生まれ、20歳の時に失明同様なったが芸を志し、寄席芸人として江戸庶民の評判となったようですが、政治批判などにより江戸追放となり、48歳で没したそうです。

「常陸国分寺跡」
場所:石岡市府中5-1

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